日本語学校で働き始めて10年が経ちました。辛い事もたくさんありましたが、改めて日本語学校の仕事に出会えて良かったなと思う日々です。
今思えば日本語教育業界に入る前は、新卒て入社した企業を9ヶ月で退社し、以降数年間は定職に就きませんでした。
数年間アルバイトをしながら、一体自分の本当にやりたい仕事は何なのか?を常に考えながら毎日を過ごしていました。最終的に5つのキッカケが決め手となり、この業界に入りました。
本記事では、私が日本語学校で働き始めた5つのキッカケをご紹介します。特にこれから日本語学校、日本語教育機関への就職を考えられている方は進路選択の参考にしてください。
大学時代の専攻
私の大学時代の専攻は国際関係学でした。主に東南アジア研究を中心に、東南アジア、東アジア、南アジアの文化、開発経済、歴史、国際協力学(アフリカ)を学びました。
中学生の頃から世界史と地理が得意で日本以外の世界を知りたいという気持ちが強く、国際関係学を学べる大学を選ぶに至りました。
今思えば、大学時代に学んだ事が後々の自分の人生感に与えた影響は大きく、大学時代から世界の人々と関わる仕事がしたいと明確にイメージする様になりました。
大学時代のホームステイ
大学2年生の春休みに、アルバイトをして貯めた全てのお金を注ぎ込み、約40日間マレーシアにホームステイをしました。
マレーシアホームステイの目的は、生の英語とマレーシア現地の事情を学ぶことでした。実際に第二外国語でもマレーシア語を専攻していた縁あってマレーシアを滞在先に選びました。
ホームステイプログラムのみだったので、滞在中はホストファミリーと遊びに行ったり、食事をしたり、英語を習ったりしながら過ごしていました。
ある日、ホストファミリーがマレーシア人の友達と会うから一緒に行こうと誘われ、英語が拙いながらもレストランで食事を楽しみました。
ファミリーの友人達は、私が日本から来た事を知ると、日本の事について様々な話を語ってくれました。
- 宇多田ヒカルの音楽って最高だよね
- ドラゴンボールとナルトが参考書
- 日本のケータイって凄いね!
- カメラはやっぱりCannonとSONY
- ラーメン最高
- いつか日本に行ったら京都に行きたいんだ!
- 日本人はとても礼儀正しくて、マナーを守る。本当に尊敬できるよ
まさかマレーシアの人達がこんなにも日本の事を知っていた事、日本の文化、アニメ、日本製品に対して非常に好感を持ってくれていた事が嬉しかったのを未だに覚えています。
このホームステイで、「世界の人々と関わる仕事がしたいと」、さらに世界の人々と日本を繋げる様な仕事がしたいという想いが強くなり、ホームステイから帰国後、世界と関わる仕事について調べ始めました。
新卒で就職した企業の退職
大学時代の「世界の人々と関わる仕事がしたい」という想い虚しく、就職出来たのは全然関係の無い小売業でした。
実は私が就職活動をしていた時期は第二次就職氷河期と言われ、アメリカのサブプライムロームシステム崩壊から始まったリーマンショックにより、世界中が不景気に陥った時代でした。
実際のところ、リーマンショック前から企業の求人は大幅に減り、私の大学の最終的な就職率も75%と過去最低数値を記録する程でした。
その為、かなり不安な気持ちで就職活動をしていました。また、最初に内定を貰った企業の内定保留期間はたったの1週間で、正直なところ就職浪人になりたくなかったので、内定した企業の就職を渋々決断しました。
しかし、あまり興味の無い仕事が故に毎日気持ちが入りませんでした。また、小売業界はサービス残業が当たり前の業界ですし、別の店舗へ移動になった際に基本給を一万下げられました…
業界の悪習や上司のパワハラ、モラハラも相まって、体力的、精神的な限界を感じ、辞める事を決断しました。しかし、ここで改めて感じた事は、やっぱり「世界の人々と関わる仕事がしたい」でした。
仕事を辞めてから今一度、自分のやりたい仕事についての研究をスタートしました。その時にgoogle検索に引っかかったのが、某専門学校で開催予定だった日本語学科所属の留学生との交流会でした。
専門学校主催の留学生交流会に参加
専門学校の留学生との交流会では、実際に日本語を勉強している留学生とゲームをしたり、お互いの文化や国の事を紹介したりと楽しい時間を過ごしました。
日本語学科の留学生は驚く程日本語が上手で、どうやって日本語を学んだのかを聞いてみました。
すると、留学生からは日本人の先生の教え方が丁寧で、授業も楽しかったから、楽しみながら日本語を勉強出来たからと答えてくれました。
日本に来た理由も、小さい頃から日本のアニメやマンガ、ゲームや食べ物が大好きで、その事が日本という国への興味に繋がり、留学に至ったと語ってくれました。
ここで初めて、日本語を教える仕事(日本語教師)を知りました。そして、世界と関わる仕事がしたかった私の中でバラバラだった線が一つの線に繋がりました。
そんな想いが湧き上がっている中、交流会の最後に専門学校の先生から、日本語教師養成講座の案内がありました。
不思議な縁を感じた私は、その場で申し込むを決め、翌週に再び専門学校を訪問し、日本語教師養成講座の費用を払い、申し込みと支払いの全てを完了させました。
そしてアルバイトをしながら、日本語教師養成講座に通う生活がスタートしました。
日本語教師養成講座で学んだこと
実は私自身、日本語教師の経験はありません。日本語教師養成講座を修了しました後、数年後に日本語学校事務員の仕事をスタートし、今日に至ります。
日本語教師養成講座では教師にとって必要な知識(座学)と実技(模擬授業)を学びます。しかし、講座で学ぶ事はそれだけではありませんでした。
講座も終盤に差し掛かっていたある日、専門学校の日本語学科で働いている先生、事務員方との交流会がありました。
交流会である事務員の方から、日本語教育に関わっているのは先生だけではなく、私の様な事務員兼学生募集担当の仕事をしている職員もたくさん居るんだよと教えてくれました。
その方から直接、〇〇さんは学生と関わる事務員、学生募集担当の仕事、絶対に向いてると思うよとアドバイスを頂きました。
他にも事務員の方のお話をたくさん聞いている内に、教師以上に事務員、学生募集担当の仕事に強く惹かれる様になりました。これがキッカケとなり、日本語学校の事務員の仕事を調べ始め、数年後に事務員としてのキャリアをスタートしました。
最後に
数年間の紆余曲折を得て、私は日本語学校事務員の仕事に辿り着きました。
今思う事は、もう少し早くこの仕事を知っていれば、再三の回り道をする事が無かったかもしれないと言う事です。
実際、新卒で就職した企業を退職してから日本語学校に就職するまでに約4年間も時間を要してしまいました。もう少し早く日本語学校の仕事を知っていれば、1年以内に就職出来ていたかもしれません。
ただ、残念な事に未だ日本語学校の仕事に関する世間の知名度が低いのが現状であり、一部を除き、就活生の業界研究の中に入る事も非常に少ないです。
本記事は、これから日本語学校や日本語教育機関への就職を考えている方、今就職活動を頑張っている方々のキッカケになればという想いで書き上げました。
そんな方々にとって本記事が少しでもお役に立てたら嬉しいです。
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